だれのお墓?いまだ論争中 藤ノ木古墳 発掘25周年(産経新聞)

 「金色(こんじき)の貴公子」「絢爛(けんらん)豪華な斑鳩(いかるが)ファッション」−。国宝の金銅製冠や大刀(たち)などきらびやかな副葬品が発見された奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳(6世紀後半、直径50メートル)に、初めて調査のメスが入ったのが昭和60年。墳丘に埋まっていた巨石のすき間から中をのぞくと、ぽっかり空洞が…。懐中電灯で内部を照らすと、真っ赤に塗られた石棺が浮かび上がった。しかも未盗掘。皇族クラスの墓とされる「藤ノ木フィーバー」が、この瞬間に始まった。(小畑三秋)

 「法隆寺よりも古い、町の歴史を調べたい」。25年あまり前、奈良県立橿原考古学研究所部長だった石野博信さん(76)=現・兵庫県立考古博物館長=のもとに、当時の斑鳩町長から相談があった。斑鳩町は、世界遺産の法隆寺がある以外、注目されることが少ない町だった。「町の熱意がうれしかった」。打診は、石野さんらの“研究者魂”を呼び起こした。

 藤ノ木古墳は法隆寺のすぐ西にあり、昭和60年7月に発掘がスタート。見つかった石棺は一度も蓋(ふた)が開けられていないことが分かり、石棺の周囲から、鳳凰(ほうおう)などが透かし彫りされた金銅製の馬具も見つかった。「これは大変な古墳かもしれん」。石野さんらは色めき立った。この知らせは、法隆寺執事長だった高田良信長老(69)にも知らされた。中学生のころ、古墳近くを通学路として歩いた高田さん。「古墳を掘ったらいろんなものが見つかるんだろうな」と子供心に思っていたら、現実になった。

 法隆寺には古文書が数多く残る。高田さんは昭和34年に庫裏(くり)の天井裏で自らが見つけた絵図を思いだした。改めて調べると「崇峻(すしゆん)天皇御廟(ごびよう)」と記されていた。場所も藤ノ木古墳と一致し、天皇との関係が一気にクローズアップされた。

 63年に石棺の蓋が開けられた。金銅製の靴や黄金の耳飾りなど大量の副葬品、被葬者の男性2人分の骨も残っていた。

 被葬者論争もヒートアップ。いまだ決着はついていない。築造時期が聖徳太子の時代と近いことから、高田さんは「斑鳩に宮殿を築いた太子さんは、被葬者を知っていたはず」と推測。聖徳太子の叔父にあたる崇峻天皇らを候補に挙げる。

 古墳は今、石室内が見学用に整備され、全国でも珍しいスロープも設置された。「車いすの人も入れるようになったのはよかった」。石野さんはしみじみ語る。

 一方、高田さんにとって一つだけ気がかりがある。被葬者の骨が副葬品とともに研究所に保管されていることだ。「藤ノ木古墳はあくまでお墓。お骨だけは石棺に戻してほしい」。世紀の大発見から四半世紀。古墳をめぐる人々の温かいまなざしは変わらない。

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ゴリライモ


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by ゴリライモ (2010-05-15 12:32) 

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